ダーリンは外国人◆アルコール依存症克服チャレンジ

西洋諸国では、アルコール依存症は立派な病気であり、リハビリ施設も充実しています。外国人の夫との日本での生活は、何かとチャレンジばかりです。

夫の弁護士さんとの連携〜釈放まで

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勾留が決まってから約1週間、リモートで仕事をしながらも毎日夫の弁護士さん、検事さん、そして警察署の人、誰かしらと電話で話す日々。 一人で抱えきれず、兄弟にだけはこっそり相談してメール等で心の支えになってもらっていた。

上申書を出す=被害届を取り下げた=和解する気持ちがある、という意思表示をしているのにも関わらず勾留が決まってしまったので、弁護士さんはちょっと心外だったようだが、まあ仕方がないので早速再上申する。

といっても文書の下書きは弁護士さんが書いてくださるので私は署名するだけ。プロの仕事ってすごいな〜、と第三者的な目で警察でも刑事さんたちに感じていたし、弁護士さんにも感じる。 しかも今回は公選弁護人なので出来ることに限界はあるだろうけれど、一生懸命私の立場にもなってくださったと思う。

 

検察に行く日

夫が検察に行くはずの日は私も午前中から気が気でなく、どうか余計なことを言いませんように・・・と願うばかり。

そして午後、弁護士さんからの電話で今日中に釈放の予定、と聞いた。

聞けば、起訴不起訴は保留のまま釈放されるらしい。なので、釈放されてすっかりリラックスしてまた飲み始めたり、暴力を振るったりすれば起訴される可能性を残しての決断。これは冷静に考えれば私にとっても良いことだったのだと思う。

私が改めて訴えたりしなければ、ほぼ不起訴で間違いないだろうという確信もあったので、少し安心して夕方迎えにいった。 

 

薬を飲んでもらわなければ・・・

勾留されていたせいで当然強制断酒だった訳で、断酒薬を飲んでもらうにはこのタイミングを逃してはいけない!と思った。

断酒薬は放っておくと夫は捨ててしまったりするので、事前に半分隠してあった。(自分を褒めたい・・・)

釈放されてきても、「ありがとう」というよりは多少不満げだったけれど、まあ当たり前か、と思い受け流す。気を取り直して夕食をどこかで食べよう、と提案した。

流石に1週間以上冷たいご飯を食べていたので、すごい勢いでチャーハンをかきこんで、美味しそうに肉を噛み締めて・・・ 

そして、シラフになったせいで、かなり冷静に話せる体制になってきたので、薬のことも話して帰宅後にさっそく飲んでもらうことに。

 

今まで、薬を飲んでいないといつどこでまた飲みだしてしまうか本当に不安で、最近では私自身も嫌な夢で目を覚ますことが多くなっていた。

夢の中で打たれていたり、とても嫌なことを言われて抵抗していたり、自分の叫び声で目がさめることも度々。

彼が薬を飲んでいれば、彼自身、2週間はお酒を入れたら自分の体が大変なことになる、と思っているので、まあ私も1週間くらいは安心して生活できる。

過去、「薬は飲みたい時に飲むんだからコントロールするな」と言うので、黙っているとそのうち結局お酒に戻り、という経験があり、何度も失敗している。

実際、釈放されたときに私が出迎えていたのは意外だったようで、私がいなかったらコンビニにいってビールを買っていたと思う。マジで行ってよかった・・・・

 

アルコール依存症は、お酒をストップしてからが勝負

 

とにかく、アルコール依存という病気は、本当に一滴でも飲んでしまったら最後、また依存しなければいてもたってもいられなくなる。

なので、ストップしてからどれだけ自身をコントロールできるか、脳が冷静に考える方向へいけるかが勝負。断酒していても、口論になったせいで腹を立てて家を出て行き、そのまままた飲酒に戻ったことは数えきれない。

 

だからなるべく口論を避けなければならない・・・・ と頭ではわかっていても、つい私もイライラが言葉に出てしまったりもする。

 

カウンセリングを受けることに

 

出所したらとにかく実践してほしいことを、弁護士を通じて伝えてはあった。本人もある程度納得というか、自分でもとにかく人生と健康を棒に振るとわかっているようで、次のことをやると約束した。

 

1)断酒薬を当分飲むこと

2)カウンセリングを自分のために受けること

3)AAミーティングにでること

 

AAミーティングはまだだけど、カウンセリングのアポイントも入れ始めたので、相変わらずコミュニケーションスタイルが短気、自己中、思いやりにかける、はあるものの、今までのことを思えばかなりの前進といっていいと思う。

 

まだまだ先はわからないけれど、そして留置所まで入ってやっとやっと本気で断酒に取り組むことができたという、望ましくはない方法だったけれど、これも人生の試練。彼は自身だけの試練だと思っているだろうけれど、私にしても苦渋の決断だった。

あのまま何もせずに毎回、「飲酒→口喧嘩→暴力→無言の1週間→仲直り」のようなループを繰り返して一生を終わるのは耐えられなかったし、だからといって離婚までする決意もできなかった。

夫が留置所にいる間すら、昔の楽しかった海外旅行の思い出の写真などを眺めて、笑いあっていた瞬間は幸せだったと思い起こすと、やはりどこかでずっと一緒にいたかったのに・・・ただ笑いあって一緒にご飯食べて、旅行したりしたかったのに、本当にアルコールさえ辞めてくれれば、あとはなんとか頑張れそうな気がするのに・・・という思いが捨てきれなかった。

 

夫婦間のことなんて、本当に他人にはわからないものだと思う。

彼のいとこの女性に電話で、「彼だけが世界中で一人だけの男性って訳じゃないのよ!いまだに一緒にいるなんて信じられないわ。すぐに彼のわからないところに逃げなさい。そして絶対に住所を教えないように」なんて簡単に言われたけれど、心の何処かで、それでいいの?と思っていた。

 

幸い今回は不起訴、との通知もいただいた。

数日前にやっと少し将来に向けて、二人の関係性の改善プランについて話し合うことができた。夫の方から、まず6ヶ月頑張ってみよう、という提案。私もすぐに怒りモードになるのを抑えるのが宿題。そして、当面、彼のリカバリーを手助けすることになる。

 

まだまだStaying Soberの旅は始まったばかり・・・です。

 

警察へ・・・夫との面会

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面会で持っていってよいもの

夫が勾留されてから、警察の留置所ってどんな感じなのかしら・・・?と思い、経験者のブログなどを読んでいた。 

ごはんは当然美味しくなさそうだし、シャワーも何日かに一度しか浴びれなさそう、そしてテレビとかはないだろうから読み物、といってもきっと日本語のものしかないに違いない・・・

想像しているとだんだんかわいそうになってきて、数枚の下着やTシャツ、短パン、そして以前アラノンミーティングで買った本や、National Geographicなどの雑誌を少し持って行くことにした。

金属がついているとダメということで、柔らかい素材のショートパンツのゴム紐もとって(自殺とかに使われるといけないから取らないといけない)、しかもゴム穴も閉じてくださいというので、閉じてから持っていった。

 

留置所担当の人の一言でちょっと癒される

私が訴えたことで夫はここにいるのだから、恨みがましい顔で現れるに違いない・・・ここから出ても復讐にあったらどうしよう? などと思いを巡らせ緊張していた。

携帯電話は手前の箱に入れさせられる。 写真も録音も禁止である。

 

慣れないことで緊張の面持ちの私を気遣ってくれたのか、係の人が

とにかくね、彼は元気だよ。」

といってくれたことで、なんとなくホッとした。

警察の人たちは当然のことながら彼を4年前からただのアル中、暴力夫、どこかの街においてきて私と離せばよい、という認識でいる方たちばかりなので、私としては感謝の気持ちと、それじゃあ解決にならない、という気持ちの半々。 彼を普通に健康を気遣うべき人間扱いしてくれるたわいない一言が心に響く。

海外ドラマを見ていたら、DVの父親のことを語る娘が、「でもいつも嫌いじゃなかった。面白いときや優しいときもあったから。他人が思うほど単純じゃないの」と言っていたのに妙に共感する。

 

夫がドアの向こうから現れて、ガラスの反対側に座った。確かに元気そうで明るい様子にホッとして思わず涙が出てきてしまった。

すると、「どうして泣いてるの?」と。

あのね、人間の気持ちって複雑なんだよ。

 

それから、驚いたことに彼の口から真摯な言葉がいろいろ出てきた。

「お酒はやめるし、君がいいと思うことは治療もカウンセリングも何でもやる」

ちゃんと食べているか聞くと、唐揚げをランチで頼んだらしく(ランチだけはサイドオーダーができるらしい。その分、後でお財布から引かれるよう)、量が多すぎて、とっておくこともできないというので、全部食べたらほーら、こんなお腹になっちゃった、と。

なんだか拍子抜けしつつも、真摯な言葉が聞けたので満足感とともに、「早く釈放してあげなくちゃ」と思った。

だから検察から電話がかかってきても、一生懸命訴えたし、警察署の担当の刑事さんから「本当にいいんですか?家に入れるんですか?」と言われても、もう被害者としての気持ちは消えていた。

 

しかし・・・・

 

二日後にまた行ってみると、ちょっと様子が異なる。

次の日にまた検察に呼ばれているということを弁護士さんから聞いていたので、くれぐれも反抗的な態度や否認をしないように奥さんからも念を押してもらうといい、と言われ、それで面会しにいったのだが、すでになんだか嫌な感じ。

聞くと、その前の日、私の被害届(正式には私の口述を刑事さんがストーリー立てて書き上げたもの)を訳してもらって読んだらしく、その中にたくさんの嘘がある、という。

あそこには三発ぶったと書いてあるけど一発だし、などなど。

物事の順番も違って覚えているらしく、彼の言っていることのほうが真実とは違うのに。

どうやら、そう思い込んでいるとその考えから離れられないらしい。

酔っ払いとシラフの私とどっちの記憶が信頼できるのか?と思う。

 

あーあ、次の日の検察との面会がうまくいくのか、また不安になりながら帰宅した。

あんな態度で家に帰ってきてもうまくいくのか・・・?

 

 

 

後悔と許しと・・・

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駅で、その一発で人生が変わってしまう・・みたいなポスターを見かける。

酔っ払って他人に絡んで暴力をふるってしまう人も多いのだろうと思う。最近は夜遅くまで出歩いていることもないので、夜の電車の様子はわからないけれど。

今回、夫の飲酒、暴力がだんだんエスカレートしているのに本人は否認するようなところがあり、公道で殴られたことをきっかけに私は被害届を出した。

 

交錯する気持ち

 

翌日1日中、仕事をしていても誰に聞かれている訳でもないのに「私の夫は今留置所」というイメージと、そうしてしまったのはほかでもない私、という考えに取り憑かれて1日中罪悪感を感じていた。

自分が被害者なのに、である。

 

そして考えるほど、調べるほど、このまま有罪にでもなると夫の在留許可の更新時にかなりトラブルになるだろうということがわかってきた。執行猶予だったとしても、在留許可の更新ができなければ、日本から出て行くしかなく、それは離婚にもつながる。その時点で離婚していなければ大丈夫なのかもしれないけれど、かなりギャンブルな感じ。

 

結局、私はそこまで覚悟できていない

 

一人の人間の人生を大きく狂わせてしまうことをしてしまったかも・・・という思いと、いや、まだ100%離婚したい訳じゃなかった、ただただお酒をやめて治療して欲しかった、という思いが交錯し、居ても立っても居られない感じがして早朝に目が覚める。

警察、検察から電話が入る。

そして、検察の人に夫の公選弁護人と話したいと申し出た。

弁護に当たってくれた先生はとても気さくな感じの方で、電話で話した後、上申書提出のために事務所を訪れることにした。目的は釈放+不起訴処分である。

上申書(今回は許します、夫を釈放してくださいという内容)をすぐに書くくらいなら最初から被害届など出さなければ・・・と人は思うだろうけれど、4年間くらいの頻繁に起きる口論のあげくの暴力がこのままエスカレートして、いつか最悪の結果になるのが怖かった。

ただ、逮捕されてから2-3日でさらに拘束されるかどうかが決まるので、急がなければならない、ということで上申書に署名した。

 

結果は・・・

 

今回1回きりのことではなく4年前から訴えはあったことと、裁判所でも夫の反抗態度(否認)があったらしく、上申は却下され、10日間までの勾留が決まった。残念なのと、やっぱり・・という気持ちが入り交ざった感情が行き交う。

 

再度上申書を提出することにしたが、次の日から留置所にいる家族に面会、という自分の人生で起こると思っていなかったシチュエーションに身を置くことになる。。

 

 

 

DVで被害届を出すのか、出さないのか?

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コロナで家で過ごすことが多くなり、全世界的に配偶者へのDVが増えているという。DVにもいろいろとあると思うけれど、私は身体が明らかに傷つくもの以外にも、心にダメージを受け続ける言葉の暴力も立派にDVだと思う。怪我は外科にいくことになり分かりやすいけれど、心の病にかかったらかなりやっかいだ。

 

ウォッカが仲間入りしてからというもの、飲んだ時の醜態がひどくなっているのは前回書いたかもしれないけれど、暴力もより頻繁になっている。それも、「今回は肋骨にはひびはいっていないし」とか、「顔にアザはできなかった」などと密かに正当化しようとする自分が信じられない。

 

その日は・・・何が違ったのだろう?

数年前に何度か警察に助けをもとめた際、結局将来のことを思うと踏み切れず、被害届も出さずにまた数日で夫を家に入れてしまった私。担当の怖い刑事さんは、もう呆れていて「もうこの件では迷惑かけません」という同意書にまで捺印させられたので、なんとか自分で対処しようとしていた。

夏も終わろうとしているある日、病院に行く予定で家を出た夫。一緒に出るはずだったのに、「タバコ吸うから先に出る。駅で会おう」といって出て行ってしまった。

慌てて仕事を片付けて10分後くらいに追いかけた私は、駅前でコンビニに入る夫を目撃した。そして予想通り、朝だと言うのに、レジにウォッカの瓶をおく夫・・・・

介入して購入を止めさせたことから口論となり、病院にももういかないというので、私も頭にきて何かを言い返したと同時に路上で殴られた。

さすがに今まで外で叩かれたことはなかったように思う。ふと我に戻り、ここはやり返したりしてはいけない・・・と冷静に思い、「交番に行くから」と行って一直線に近くの交番へ向かった。

その交番から以前お世話になった生活安全課に電話が繋がり、以前の同じ怖い刑事さんが「だからーーーーー、今度は被害届出す気あんの?」と。

ここのところ心も体の疲れも限界にきていたこともあって、「出します」と言った。

 

女性の刑事さんの説得

警察署の話を聞いてくれる部屋で、私は相当悩んでいたと思う。女性の刑事さんに「私たちはあなたのことを思っていっているんです。今回は被害届だした方がいいと思うよ」と言われ、本当にそうだ、と思いながらもふっきれない気持ち。

ずっと悩んだり、涙ぐんだりしているうちに何かが吹っ切れて、被害届を出すことに同意した。被害届=逮捕 である。

これで、日本人帰化申請する夢も消えたな、などと思いながら・・・ でもさらに先まではこの時は考えていなかった。

とりあえず、暴力的で手に負えなくなっている夫を警察が連れて行ってくれる、それだけ。今日から遡って過去1週間で、思えば夫が暴力的になったのは3回目。顔にアザができなくても、胸は今でも痛いし、腕にアザもできている。ある意味、リモートワークで本当に助かっている。心配事など何もない、という風情でビデオ会議に出れば良いし、仕事は仕事でちゃんとできている。私はいったいいつからこんなに人生をぐちゃぐちゃにしてしまったのだろう?

 

とにかく逮捕されるまでは家に帰らないように、と言われ、指示通りファミレスで電話を待つ。結局、夜10時半ごろ、やっと帰宅できた。

 

夫はとうとう、私が被害届を出したせいで暴行罪で留置所に入ってしまった。

 

 

コロナ恐怖症 x アルコール依存 出口なし

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今年に入って、コロナウィルス感染が世界中で広まり、もちろん舐めてはいけないのだけど、日本に住んでいるのに毎日のようにアメリカの増加具合を見ながら、異常に囚われている夫。

 

日本でも感染が微妙に広がってきた頃から、オンラインでマスクを何度も大量に注文し、1年〜1.5年分はあろうかという量のトイレットペーパーやキッチンタオル、不必要なほどの除菌ティッシュ、アルコール液を注文。

 

6月になってから、週に一度くらい出社する私を白い目で見つつ、「仕事行ってお前が感染するのは自由だが、俺が移ると困る!まだ死にたくない」だの、「どの道、3か月以内くらいには君も僕も死んでる」だの、付き合い切れない。

 

そんなに怯えている割には、アルコールを買いに出かけるのはいいらしい。

先月、一回辞めたものの、断酒薬を飲まないので、ちょっとしたことで切れて怒り出し、また再発。

 

最近はウォッカが効率よくアルコール摂取できると思い出したのか、酔い方がだらしなく、そのまま外で寝ていたら、誰もがホームレスとして立派に認定するだろうという風情。

 

こんな状況になっても、たまたま過去に他人同士が出会って結婚したから、責任持って面倒みなくちゃならないのか⁈ と思う。

 

昨晩も夜中にまた出かけようとするので、家の鍵を取り上げた。それをキッカケに、また暴力が始まった。ベッドや床に私を張り倒して殴る、髪の毛をつかむ、着けていた腕時計を無理やり剥がそうとする、などなど。

 

今朝はずーんと頭が重く、首や肩がキシキシする。

外傷は幸いなかったけれど、首が心配である。

 

警察に電話しようかと思ったけれど、過去に「もう警察には迷惑かけません」という同意書を書かされているので、留まった。何度か警察を呼ぶたびに、せっかく彼の鍵を取り上げて、別の街に置き去りにしてあげたのに、未だに離婚出来ていない私に愛想をつかした警察が同意書を要求してきたもの。

 

こうやって、だんだん助けを求められる場所が少なくなり、もうどうして良いのか。

 

今日はアメリカのアルコール依存症ヘルプサイトでチャットを入れてみた。すぐにオペレーターがチャットで返してくれて、Botじゃなかった事に驚きつつ、ヘルプしてもらえるか尋ねた。

 

しばらくやり取りして、セラピストが電話かメールで連絡してくれるとのこと。

なんとかしなければ、このままでは自分が潰れてしまう。

久々に書く気になれました!

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夏の間、だんだんひどくなる症状に怯えていました。私のことも病気呼ばわりするので、恐ろしくなったり、もう本当に別れてやる!と思ったり‥。

 

現在、断酒のためのお薬をまた飲み始めて約1カ月。過去の経験では、断酒1ヶ月くらいでは、まだまだ性格も悪く、すべて人のせいにしたり、という自己中な言動が多いと思っていましたが、ここへきてやっと、純粋な前向き感が感じられるので、私も少し心が落ち着いてきました。

 

液体の薬をもらっていた時に、中身を水にすり替えて飲んでいるフリをされた事があるので、なんだかんだのダンナの引き伸ばし作戦にやっと勝ち(!)、粉薬に変更できました。

 

そんな闘いの日々。闘病、なんだよね、これも。

家族を思い切り巻き込んだ闘病。

 

ただ、3ヶ月過ぎた頃にまた飲酒が始まった事もあるので、まだまだ安心出来ません。

 

次の目標は、クリスマスと年末年始を穏やかに過ごせる事。小さな成功を重ねたいものです。

 

 

 

気の緩みとやり直しの日々

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断酒、下痢症状からの回復、やっと1週間たって、そろそろ薬飲めるよね?と思っていたら、今日はお買い物ついでにビールを二缶くらい飲んでしまったらしい。

 

「ほら、でも全然大丈夫だから」

 

とか言って、反省の色なし。

始まりなだけで、それがすぐにエスカレートするのを何度経験していると思っているわけ??

 

ここで私が激情しても逆効果なので、気を取り直して夕ご飯。

 

とにかく、ちゃんと食べる、ということを習慣づけると少しはビールに走らなくなるようなので。

 

とってもまともに見えてご機嫌な時と、悪魔と暮らしているんだと思わせるほど酷い人格の時。

二重人格なのか、ただのアルコール依存症なのか?

 

面白いのは、正気の時は

 

「しばらく僕は酷いヤツだったからねえ」

 

とちゃんと認めること。

何も覚えていない訳ではないらしい。

 

外国でのリハビリはお金もかかるので、最後の手段だと思っている。

なんとかまた明日から断酒が続きますように。